生い立ち
生まれは長野県松本市です。父は開業医で母はその手伝いをしていました。兄と妹がいます。
自宅が医院だったため、子どものころから両親が大変な思いをしながら忙しく働いているのを間近で見ており、生きていくのってこんなに大変なのだなと子ども心に感じていたことをよく覚えています。
小学校2年生から始めた剣道に夢中になり、小・中学校は道場中心の生活でした。また音楽も好きで、中学ではブラスバンド部に入り、クラスの合唱の指揮も経験しました。
中学生の時に自分の将来を考え、好きな音楽と武道を生涯続けて、仕事は医療関係にしようと目標を立てました。
挫折
高校は、剣道の強い進学校に行きたかったのですが、受験を目前にして志望校のランクを1つ上げてしまいました。父からの強い要望に折れたためですが、結果は不合格でした。
結局、地元の高校には行かず山梨県の駿台甲府高校に進学しました。ここでは当初の目標をすっかり忘れてひたすらギターに打ち込む毎日でした。
大学は1浪の末、医学部に合格することができましたが、入学前後くらいから心と身体のバランスを崩して倒れてしまい、徐々に症状が悪化して最後は何も手につかなくなり大学を中退しました。
子どもの頃から積み上げてきた頑張りが泡となって消えたように思いました。
出会い
健康状態が悪いにもかかわらず、病院の診察を受けたのは大学を辞めてからでした。
警備員のアルバイトで生計を立てながら通院し、何か手に職をつけなければと考えていました。元々鍼灸に強い憧れはありましたが、完全に自信を喪失していた自分にはとてつもなく高い壁に見えました。
偶然本屋で目にしたカイロプラクティックという耳慣れない治療に興味を持ち、「今の自分にもできるのでは」と思い、学校の門を叩きました。
その後、第一人者であるY先生のもとを訪ねたところ、けっして健康とはいえない自分にМ先生を紹介してくださったうえ、仕事をいただくこともできました。
親戚の叔母さんの近所に住み、何かと支えてもらいながらの生活でした。
これから
体調は少しずつ薄皮をはぐようにゆっくり回復に向かいました。そんな自分を理解し、受け入れてくれた職場の仲間がいました。
数年後、父が亡くなりましたが、この時にはかなり回復していたので、これを機にかねてより念願の鍼灸師へのチャレンジを決めました。
働きながら学校に通い卒業して鍼灸師となり、続けて柔道整復師の資格も取得しました。資格取得後は鍼灸整骨院に勤務し、院長を任されるまでになりました。
子どもの頃から両親が身を粉にして働くのを間近で見てきたので、そんなふうに頑張っている人たちのサポーターでありたいとの思いでこの院を立ち上げることになりました。
1人で施術している小さな院ですが、一人ひとりの患者さんと全力で向き合っていきますので、お気軽にご相談ください。